久々に短編を投稿!お暇な時にどうぞ。

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産業革命から格差、ゲノム編集まで

リビングルームで、寒いので数学の勉強をしていて、何気なくテレビを観ていた、

おお、サンデーモーニング新春スペシャルが面白い!!

2100年の予想、次世代交通、ナノマシン、サイボーグ、ゲノム編集など。

 

2017年の富の格差、ビル・ゲイツ氏や、アマゾン共同創設者でCEOのジェフ・ベゾフ氏、Facebook会長兼CEOのマーク・ザッカーバーグ氏など上位八名の所得と下位50パーセントの所得が同じという結果に。

 

産業革命がイギリスで興り、明治維新から150年の日本、1914~18年 第一次世界大戦、 1928年 世界大恐慌、1939~45年 第二次世界大戦 1940年 日独伊三国同盟 1945~89年冷戦 1991年 ソ連崩壊 

国連憲章の話から、オイルショック、資本主義経済、グローバル化、金融資本主義、格差まで。

インドでヒットラーが人気という取材もあった、ドイツの極右政党が「ヒットラーは絶対悪ではない」と発言、物議を醸している、「極右政党は、ネオナチ、最悪」などドイツ市民の声。

 

 

RT

第二次世界大戦とは1939年にドイツのヒトラー率いるナチス党がポーランドに侵攻。当時、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがそれに対抗しドイツに宣戦布告したことにより始まりまった戦争です。

 では、第二次世界大戦の原因について、まず簡単に見ていきましょう。

 
第二次世界大戦の原因

 ドイツは第一次世界大戦(第一次ですよ。ごっちゃにならないでね。)に敗北して領土をとられて賠償金も支払わなければならない立場に追い込まれます。そこにアメリカから端を発した世界大恐慌がやってきます。

 この恐慌に対してアメリカではニューディール政策。イギリス、フランスではブロック経済というのを行います。この政策は自分達の国や植民地、自治領だけで貿易を行い、他の国からの輸入品には高い税金を掛けて外国の商品が入ってこないようにしましょうという政策。これによって自分達の国や息のかかった国だけで経済の交流を活性化させて恐慌を乗り切ろうとしたんですね。

 しかし、これは植民地や領土をたくさん持っていないとできない政策。持っていない国では輸出品に高い税金(関税)を掛けられてしまっているので貿易がさらに悪化していくことになるんです。

 当時、その植民地を持っていない国といえばドイツ、イタリアですね。ドイツは第一次世界大戦に負けて領土とられちゃってますし、イタリアは勝利した方だとはいえこれといった領土を得たわけではなかったのです。

 これらの国では、「もう、多少強引でもいいから、誰か、この状態をどうにかしてよ~」と国民は強いリーダーシップをもった人物を待ち望むことになります。

 そこに現れたのがドイツではヒトラー。イタリアではムッソリーニでした。そして彼らはファシズムという考えに走っていくことになります。ファシズムとは簡単に言ってしまえば独裁政治によって軍事力を強化し、海外進出を狙おうという考えです。

 1937年、ドイツが動き出します。ヒトラーは東方に拡大政策をとることを宣言。翌年にはオーストリアを併合します。

当時のオーストリアの様子を描いた作品
「サウンドオブミュージック」は有名ですね


 次にドイツはチェコスロバキアズデーテン地方の割譲を要求。この要求にチェコスロバキアは、イギリス、フランスが後ろ盾になってくれることを期待しきっぱり拒絶します。

 しかし、イタリアの仲介によって開かれたドイツ、イタリア、フランス、イギリスの会議(ミュンヘン会議)によってズデーテン地方はドイツに割譲されることが決定されてしまいます。なんとチェコスロバキア不在の会議で勝手に決めちゃったんですね。フランス、イギリスとしては第一次世界大戦のような戦争は避けたかったですし、何しろドイツが「このズデーテン地方が最後の領土要求だ!」というものだから妥協してしまったのです。

 しかし、こんな弱腰とも思えるイギリス、フランスの対応にドイツは早速約束を破ります。1939年、ズデーテン地方のみでは飽き足らず、今度はチェコスロバキア自体の解体に乗り出すのです。なぜ、ドイツはそんなにもチェコスロバキアが欲しいのか?実は、チェコスロバキアでは工業が非常に発展していたんですね、特に武器なんかも非常にいいものをつくるので、ここをおさえてしまえば軍事的に優位に立つことができるんです。

 ドイツは、西部のチェコを併合し、東部のスロバキア保護国としました。そしてドイツが次に狙いを付けたのポーランド

 ドイツは第一次世界大戦敗戦時。バルト海への出口を欲しがっていたポーランドにドイツ領土をぶった切るようにしてポーランド回廊という地域をとられています。このポーランド回廊を横断する陸上交通路とその回廊の先端にある港、ダンチヒを返せと要求します。しかし、ポーランドはこれを拒否!

 ドイツとポーランドの間に緊張が走り戦争の危機となり始めます。

 ちなみに同じファシズムのイタリアも同時期にドイツの勢いに押されるようにして無抵抗のアルバニアを併合。領土拡大に乗り出していきますよ。

 さぁ、イギリス、フランスの弱腰とも思える対応にチャンスとみたドイツでしたが、イギリス、フランスもそうそうドイツのいいようにはやらせておきません。チェコスロバキアの二の舞は避けたかったイギリス、フランスはポーランドに安全保障条約を約束。ドイツとの戦いの準備を始めます。

 このイギリス、フランスの動きにドイツはどうするのか?なんとスターリン率いるソ連と手を結ぶのです。ドイツにしたらイギリス、フランスと戦争を始めた場合、ソ連まで敵に回したら挟み撃ちになっちゃいますね。地理的にドイツはイギリス、フランスとソ連の間にありますから。

 ソ連ソ連で日本が怖かった・・・。当時の日本とソ連は警戒しあっていましたからソ連としても日本とドイツの挟み撃ちは避けたかった。そこで、ドイツ、ソ連の間で独ソ不可侵条約、つまりお互いの領土は攻めないようにしましょうと約束をしたのです。

 この条約を結ぶことに成功したドイツは、ついにポーランドへの侵攻を開始します。そして、イギリス、フランスはポーランドとの約束通り、ドイツに宣戦布告。

 ここに第二次世界大戦が始まるのでした。

 
第二次世界大戦の経過と終焉


 ポーランドに侵攻したドイツに対してイギリス、フランスは宣戦布告はしたもののドイツを積極的に攻めるという姿勢は見せません。

 片やドイツは、イギリス、フランスが手を出してこないので一挙に占拠を実現。独ソ不可条約を結んでいたソ連も東側からポーランドに攻め入り東はソ連、西はドイツでポーランドを支配することになります。

 次にドイツはデンマークノルウェーに侵攻を開始します。1940年4月のことです。5月にはオランダ、ベルギーに侵攻。そして6月にはついにフランスまでをも降伏させるという驚くべき快進撃を見せます。

 ちなみに、イタリアはこのフランス降伏の直前に参戦を表明しています。ドイツがあまりに強いので「勝ち馬に乗ったほうがよさそうだ」と判断したのですね。

 さて、フランスを手に入れたドイツ。これによりイギリス本土への空爆が可能になります。イギリスにしてみたら、ソ連は敵、フランスはすでに降伏、東欧は占領され、スウェーデン、スイス、スペイン、ポルトガルは中立とこの時点ではまさに孤独の戦いを強いられることになるのです。

 もはや、この時点では完全にドイツ側の有利ですね。そこで当時、日中戦争中であった日本も長期化する日中戦争の打開策としてドイツ、イタリアと同盟を結ぶことを決意します。日独伊三国軍事同盟ですね。1940年9月27日に同盟は成立します。

 と、この辺りまではドイツ側の調子が非常にいい時期です。しかし、1941年。この年が第二次世界大戦の分岐点となっていきます。

 まず、これまで中立であったアメリカがイギリスなど連合国側に武器の援助を始めます(1941年3月)。これにより孤独に戦っていたイギリスは強い後ろ盾ができることになりました。

 ドイツは、イギリスへの本土侵攻に向けて連日のように空爆をしますがドーバー海峡の制空権は奪うことがなかなかできない。そこでドイツは1941年6月。矛先を変えてソ連の石油資源に狙いをつけます。独ソ不可侵条約を一方的に破棄、ソ連への侵攻を開始します。

 ドイツは、一時はモスクワ付近まで迫るほどの勢いを見せますが、ソ連の反撃と強烈な寒さにやられ苦戦を強いられます。

 ドイツと同盟を結んだ日本では、1941年12月にハワイの真珠湾を攻撃。日本とアメリカは太平洋戦争に突入し、日本との同盟国であるドイツ、イタリアもこれによってアメリカに宣戦することになりました。

 そして、1942年。日本はミッドウェー海戦で主力空母の殆どを失い、歴戦のパイロットの多くを失うとアメリカの攻撃によりサイパン、グァムを失い本土が爆撃機空爆されるようになっていきます。

 一方、ドイツもソ連との争いで第二次世界大戦最大の攻防戦といわれるスターリングラードの戦いに敗れついに敗走。

 イタリアではアメリカ、イギリス連合軍に上陸され、ついにムッソリーニが失脚。1943年9月にはイタリアは無条件降伏をします。

 さらに1944年6月には連合国軍は西からドイツ軍を粉砕していく為に100万もの軍でノルマンディー(フランス)に上陸。ドイツはこれによって8月にはパリを解放。追い込まれたヒトラーが自殺すると1945年5月にドイツも無条件降伏を受け入れます。

 そして、1945年の8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ、ついに日本も無条件降伏。

 こうして、第二次世界大戦終結することになるのでした。 

第二次世界大戦の開始から終焉まで
1939年
ドイツがポーランドに侵攻(第二次世界大戦が始まる)
1940年
フランスがドイツに降伏
日独伊三国軍事同盟
1941年
アメリカが武器貸与法を成立させイギリスなどを支援
ドイツがソ連へと侵攻開始。
日本が真珠湾を攻撃(これによりアメリカ参戦)
1942年
ミッドウェー海戦にて日本軍敗北
1943年
スターラングラードでドイツ敗北
連合軍、シチリア島に上陸。イタリア無条件降伏
1944年
連合軍、ノルマンディーに上陸。
1945年
ドイツ無条件降伏。
広島、長崎に原爆投下。日本無条件降伏。

 

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三島も文学賞有力候補に、67年 ノーベル賞選考

三島も文学賞有力候補に、67年
ノーベル賞選考

 

2018/1/3 09:02
©一般社団法人共同通信

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 【ストックホルム共同】小説家の川端康成ノーベル文学賞を受賞する前年の1967年の同賞選考で、川端のほか、小説家の三島由紀夫も有力候補として名前が挙がっていたことが判明した。選考主体のスウェーデン・アカデミーが共同通信の請求を受け、2日に資料を開示した。
 67年の文学賞候補総数70人のうち、有力候補は7人。選考委員会のエステリング委員長(当時)は、三島を「多才な作家」と高く評価した。しかし、川端の存在を理由に最終候補からは漏れた。
 委員長は三島の小説「午後の曳航」を挙げ「成熟味を増している」とたたえた。

 

うわー、単純に嬉しいな!

 

「楠はこの季節に甚だ似合はしからぬ女を同道してゐた。彼はこんなお茶っぴい芸妓はきらひであった。ただ彼女が郁子とちっとも似てゐないといふ、それだけの理由で満更でもない気がするのであった。すべてが郁子への当てつけ,女に限らず、彼の生活のすべてが郁子への当てつけになった。彼がこのごろわざと女を連れて人目に立つところへ押し出すのだったが、それはひとつには、郁子にぱったり逢ひはしないかという期待と危惧のためである。」

 

『あれはまるで象牙の人形のやうな女だ。ひょっとすると、不感症ではないかしらん。俺は郁子からやうやく十日に一ぺん逢ふ許可を得て、堅人の亭主の帰宅の時間にいつも間に合ふやうに帰してやる。そのたびに接吻もする。しかしその他のどんな穏便な愛撫をも彼女は頑なに許さない。・・・・・・不感症どころか、鋭敏すぎる機械の持主の護身の本能ではあるまいか。接吻・・・さうだ、俺にとってはその度毎に胸の焦げるやうな思ひのする接吻も、しょっちゅう食欲のない女が冷淡に皿をしりぞけるやうに、冷静な彼女の手が、俺の體を、(まるでお皿みたいに!)押しのけるところで終るのだ。俺のみっともないことと云ったら、お預けを喰った番犬のやうだ。彼女つひぞ俺を愛してゐると言ったことがない。ところが俺のどうにもならない弱味は、女の口から「愛してゐる」といふ言質を得ないと、どうしても勇気をふるひおこすきっかけができないことだ。俺の中の見栄坊が、後難を憚らせるのだ。」

「純白の夜・三島由紀夫

私の幻影としての被害者

 

mainichi.jp

「わたしはこのセッションのあいだじゅう、ずっと吐き気に耐えていた。
具体的な吐き気じゃなくて、精神的な嘔吐感だ。某婦人というひとはどう見ても危ない人にしか思えなかったし、みんなが某婦人の口から吐き出されるいがいがした言葉のひとつひとつにうんうんとうなずくのが不思議でならなかった。」
伊藤計劃・ハーモニー」
「カケルが眉を顰める。「血と排泄物にまみれて生きるのが女の欲望だと」
「二重人格を描いた作品として読まれてきたが、ドイツのロマン主義者の想像力を掻きたてた自己幻視像(ドッペルゲンガー)、分身の主題は多重人格症との関係でも興味深いところがある」「どんなふうに」シモンが問いかける。「分身現象の基本は私が私を見ること。錯覚や幻覚の可能性を疑いうるのは事後的で、その瞬間に自分を見ているという視覚的信憑は覆しえない。自分の分身を見た者はじきに死ぬと信じられてきたが、第三者に見られたから本人が死ぬわけではない。分身に殺されるという民間伝承も同じことで、本来的な分身性は自分が自分を見るところにある」シモンが反論した。「自己幻視像(ドッペルゲンガー)は脳の器質的障害が原因だという説も最近では有力だけど。脳に障害のある患者の死亡率が高いのは事実だろうし、とすれば分身を見た者は死期が近いという民間伝承も医学的に裏づけられるね」「問題にしたいのは医学的な原因論ではなく、私が私を見るという経験の意味なんだ。・・・私が第二の私の存在を信憑することだ。」
「吸血鬼と精神分析笠井潔 p540より抜粋」

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ワイエス 幻影

レクイエムーミルトン・失楽園にみる神の教え

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寝屋川市の被害者の女の子を、私の好きなこの曲で送りたい。

 

「人間よ、恥を知れ、と私は言いたいのだ!呪われた悪魔でさえも、悪魔同志で固い一致団結を守っているのだ。それなのに、生けるものの中で理性的な人間だけが、神の恩寵を受ける希望が与えられているにも関わらず、互に反噬し合っている。神が、地には平和あれ、と宣うているにも関わらず、互に増悪と敵意と闘争の生活に明けくれ、残虐な戦争を起しては地上を荒廃させ、骨肉相食んでいる始末だ。これでは(もしそれに気づけば、我々は一致協力すべきはずなのに)あたかもこの地に地獄の敵が人間を衣に囲繞し、その破滅を日夜眈々として窺っているのを、全く知らないものの如くだ!」

 

「復讐は神のもの」「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これを報いん』とあり」(「ロマ書」十二・十九)

 

「復讐というものは、初めこそ甘美なものだが、まもなく苦渋となって自分自身に跳ね返ってくる。」

 

 

「神の武具を執れ・・・信仰の盾を執れ、之をもて悪しき者の凡ての火矢を消すことを得ん。また救の冑および御霊の剣、すなわち神の言を執れ」(「ェペソ書」六・十三ー十七)

 

「だが、アダムよ、もし将来悪意がこの世に瀰漫するようなことがあれば、お前の子孫の誰かが、兇悪な意図にかられ、或は悪魔の陰謀に誑かされて同じような器具を考え出して、戦争と骨肉相食む殺戮に狂奔し、罪に塗れた同胞を苦しめることになるかもしれない。」

 

「すべて悪を行ふ者は光を憎みて光に来らず、その行為の責められざらん為なり」(ヨハネ伝」三・二十)

 

「アダムよ、強くあれ、幸福な生涯をおくれ、しかして愛せよ!しかし、何よりもまず第一に神を愛せよ、神を愛することは神に従うことだ、神の大いなる命令を守れ。情熱のために判断を過ち、普通ならばお前の自由な意志が許さないことをしでかすことのないよう注意するのだ。お前とお前のすべての子孫が幸福になるか、不幸になるかは、お前自身にかかっている。充分に心することだー。お前が恩寵のうちに生き続ける限り、私は勿論すべての天使が喜びを味わうことが出来る、堅く立つのだ。立つも墜ちるのも、それはお前自身の自由な選択にかかっている、内において完璧を期し、外からの援助を求めてはならぬ、そして、お前を罪に陥れようとするすべての誘惑を斥けるのだ」

「ミルトン・失楽園」より抜粋

 

「神様、どうかお力を、悪意から悪を学びませぬよう、それを鏡に自分の悪を正すことが出来ますよう」

シェイクスピア・オセロー」より抜粋

世阿弥の能にみる物狂考

 

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「花筐」

「先に「鬼ノ託タル」(今昔物語集』)状態は、「鬼に託へる」(『日本霊異記』)状態であったと述べておいた。また世阿弥たちが「鬼能」を「狂い能」と呼んでいたことも述べておいた。」

 

世阿弥は応永二十八年(一四二一)の奥書をもつ『二曲三体人形図』において、女体の舞を「幽玄妙体の遠見」「当芸第一の上曲」としているように、この時期、幽玄の極致として女体の舞を能の舞の最上位に位置づけているからである。世阿弥が男物狂より女物狂を評価するようになったのは、このような女体重視の能芸観と一体のことであるのはまず確実であろう。ところで、ここで注目されるのが、女体の舞を「当芸第一の上曲」とした『二曲三体人形図』の女舞の項に描かれている図で、それが烏帽子、舞衣、大口姿で、明らかに女物狂の姿だということである。世阿弥は『三道』において、女体に「百万」のような女物狂能を含めているから、それはとくに不自然ではないのだが、この図が女物狂の姿であることは、この時期の世阿弥が女体の中でも女物狂をその代表とみていたことを端的に示すものであろう。ということは、『二曲三体人形図』における女体重視の世阿弥の能芸観は、世阿弥の関心が男物狂から女物狂に移ったことの背景というより、世阿弥の女体重視がそもそも女物狂重視にもとづくものだったということになり、世阿弥による女能を中心にした幽玄能の形成には、女物狂能が大きな要因となったことを推測させる。」

 

「応永七年(一四〇〇)の奥書がある『風姿花伝』第二「物学条々」の「物狂」の項では、その冒頭に、「この道の第一の面白づくの芸能なり」とあり、以下「憑物の物狂」と「思ひゆゑの物狂」について説いたあと、女物狂に鬼神が取り憑くような能を演じるべきではないことや、直面(素顔)の男物狂能(「髙野物狂」「土車」のシテが直面である)の難しさが説かれている。これが物狂や物狂能についての世阿弥のもっとも早い時期の発言だが、このうち、応永七年当時の世阿弥の記述は、「憑物」と「思ひゆゑ」という二種の物狂について説いた部分だけで、それ以外は応永二十年代後半頃の世阿弥自身による増補部分の記述である。すると、「この道の第一の面白づくの芸能」というよく知られた発言は、還暦近い頃の世阿弥の発言ということになり、こう書きつけた世阿弥の念頭にあったのは、前述の物狂能の発展をふまえると、女物狂だったことになる。また、それと同時期の発言と思われる、直面の男物狂のむずかしさを説いた部分は、裏を返せば、男物狂の魅力に対する疑問の表明とみることも可能であり、女物狂に鬼神が取り憑くような能を演じるべきでないとした部分は、それだけ女物狂を高く評価していたことの表われとみることができる。この『風姿花伝』に次ぐ世阿弥芸論中の「物狂」についての言及は、応永三十年の『三道』にみえる。そこでは、「物狂」については女体の項の末尾で、「女物狂の風体、これは、とても物狂なれば、なにとも風体をたくみて、音曲細やかに、立ち振る舞ひに相応して、人体幽玄ならば、なにとするも面白かるべし」などと説かれている。」

 

世阿弥の能で大切なのは、私はこの「鬼」と「物狂」だと思っているのです。どちらも「この世」を呪っている人間だな。世阿弥は脇能で「将軍讃美」の能を書きますが、それを免罪符として、一番書きたかったのは、疎外された人間の哀しみだと思うのです。それを、鬼や物狂で書くのですよ。」

 

「私も「武士道讃美」っていうのはあると思いますね。世阿弥はね、私は楠正成の縁戚関係にあると考えていますからね。本当は『太平記』の世界を描きたかった。しかしそれは出来ない。それで一時代前の『平家物語』に仮託して、正成の忠義とか後醍醐天皇の「摩醯修羅」ぶりをね、書いたんだと思う。南北朝の戦いでは、大変多くの人達が死にました。世阿弥はそういう戦いで死んだ人達を敵・味方関係なく、みんな鎮魂していると思う。『平家物語』という“舞台"に連れ出してね。それが世阿弥の優しさです。死んだその人が人生で一番輝いた一瞬を舞台で演じさせる、というのが世阿弥の修羅能だと思います。語らせてやろう、舞わせてやろう、という心遣い。世阿弥の心根の優しさを演じていて感じます。「敦盛」なんか、特にそうですね。笛も吹きたかったろう、舞も舞たかったろうっていう、そういう「こころ」を舞台に上げる。」

「能を読む② 世阿弥 神と修羅と恋」より抜粋

 

「そうですね。小泉八雲の『草ひばり』にも出てきますが、虫は本能で鳴いているだけなんですけども、そこに日本人の感性は人の魂を呼び合うというようなイメージを乗せていると。虫の音を聞いた時にそういったイメージをもつというところから「松虫」とか「野宮」が生まれてくる。」

 

「強吟のクセで女性が舞うというと世阿弥の「花筐」のクセぐらいでしょうか。そうですね。あのクセでは異様な世界を表出します。そう考えると、ある種、世阿弥がクセのイメージの原形をつくっていると考えてもいいと思います。」

「能を読む③元雅と禅竹 夢と死とエロス」より抜粋

 

花筐 ― はながたみ ―
作者 『世阿弥
素材 「日本書紀
場所 前場 越前国 味真野(現・福井県武生市池泉町味真野)
後場 大和国 玉穂(現・奈良県桜井市阿部)
季節 秋
演能時間 1時間20分
分類 4番目 狂女物
■登場人物

前シテ・・・照日の前
面:若女又は節木増・ 孫次郎・ 小面
装束:摺箔・唐織着流・鬘扇
後シテ・・・照日の前
面:前シテに同じ
装束:摺箔・唐織脱下・鬘扇
ツレ・・・侍女
面:小面
装束:摺箔・唐織着流し・花筺
子方・・・継体天皇(王)
装束:初冠・縫箔・指貫または色大口・単狩衣・神扇
ワキ・・・官人
装束:厚板・白大口・法被・太刀・男扇
ワキツレ・・・使者
装束:無地熨斗目・素袍上下・小刀・鎮扇・文
ワキツレ・・・輿舁
装束:厚板 白大口・男扇・輿
■あらすじ
大迹皇子は皇位継承の為に上洛することとなり、寵愛している照日の前へ文と花筐を使者を遣って届ける。照日の前は別れを悲しみつつ文と花筐を抱いて里へと帰る。即位して継体天皇となった皇子は、紅葉の御幸に出かけた折、そこへ物狂となって侍女とともに都へとあとを慕って来た照日の前が行きあう。官人が侍女が持つ花筐を打ち落とすと、照日の前は花筐の由緒を語って官人を非難し別れの悲しさに泣き伏すが、継体天皇はその花筐をみて確かに照日の前に与えた物だとわかり、再び召されて都へと伴われていく。
■ワンポイントアドバイス
親子の別れ、恋しい人との別れを扱った狂女物は中世の巷話が主になっているが、本曲は古代王権の即位を扱った曲であって、他の狂女物とは趣きを異にしている。本曲はツレが出るが、狂女物ではツレが出る曲は大変珍しい。残された趣の国の人々が、一族挙げて都へ押し寄せて来ることをツレを出すことによって象徴的に現わしているといえるであろう。

花筐

花筐(はながたみ)
 
 
はながたみ のべのもじずり だれゆえに
 
     みだれてこいの ゆくえもしれず
 
 
 
花筐(はながたみ) 野辺のもじずり 誰故に 
          乱れて恋の 行方も知れず
 
 
はながたみ・・・・花篭(はなかご)
 
みちのくの  しのぶもぢずり たれ故に
乱れそめにし われならなくに (百人一首
もじずり(ねじばな)・・・蘭
花言葉・・・・・・「思慕」 

 

上村松園さんの花筐は、能からか、いいな、圧倒される。

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「花筐」 上村松園