愛の渇き

「そう。・・・それであなたは一体誰を愛していたの?」・・・『愛する・・・愛さない・・・』又しても!又してもだ。・・・

ここまでこの純朴な少年を追いつめたのは誰だったろう。ここまで追いつめて来て彼に等閑な解答を言わせたのは誰の罪だったろう。三郎は感情よりも世故の教える判断に頼ろうと考えた。これは子供のころから他人の飯を喰って育った少年には、ありがちな解答である。そう思って見れば、悦子の目が、自分の名を言ってくれと物語っていることは、彼にだってすぐ読めた。『奥さんの目はずいぶん真剣に潤んでいるな。わかった。この当て事の答には、奥様の名前を言ってもらいたいんだろう。きっとそうだろう』

三郎はかたわらの黒く干からびた葡萄の実をとって、掌のなかでころがしながら、うつむいたまま、あけすけにこう言った。「奥様、あなたであります」

あまりにもありありと嘘を告げているこの調子、愛していないと言うよりはもっと露骨に愛していないことを告げしらせているこの調子、こうした無邪気な嘘を直感するためには、必ずしも冷静な頭脳が必要とされないわけで、一方ならず夢心地に浸っていた悦子も、この一言で気を取り直して立上った。万事は終わったのである。・・・

三島由紀夫」『愛の渇き』より

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この本を読んで正直な感想、うおぉ、三郎カッコいい‼と思った、この見事な心理描写は、三島マジックの成せる業なのか?

お色気ムンムンの少年スチュワーデスの誘惑にすぐ負ける私には(駄目じゃん)論理家で冷静沈着な老人パイロットの分析力も大事にしたい。

 

 

最後に宮澤賢治の言葉を記して終わりにしたい。

「きみのやうにさ、吹雪やわづかの仕事のひまで泣きながら からだに刻んで行く勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからの あたらしい学問のはじまりなんだ」(春と修羅、第三集「あすこの田はねぇ」より)

「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらが それをいま  かんがえているのだから」(ポラーノの広場より)