世阿弥の能にみる物狂考

 

f:id:humpbackwhalex:20180101115948j:plain

「花筐」

「先に「鬼ノ託タル」(今昔物語集』)状態は、「鬼に託へる」(『日本霊異記』)状態であったと述べておいた。また世阿弥たちが「鬼能」を「狂い能」と呼んでいたことも述べておいた。」

 

世阿弥は応永二十八年(一四二一)の奥書をもつ『二曲三体人形図』において、女体の舞を「幽玄妙体の遠見」「当芸第一の上曲」としているように、この時期、幽玄の極致として女体の舞を能の舞の最上位に位置づけているからである。世阿弥が男物狂より女物狂を評価するようになったのは、このような女体重視の能芸観と一体のことであるのはまず確実であろう。ところで、ここで注目されるのが、女体の舞を「当芸第一の上曲」とした『二曲三体人形図』の女舞の項に描かれている図で、それが烏帽子、舞衣、大口姿で、明らかに女物狂の姿だということである。世阿弥は『三道』において、女体に「百万」のような女物狂能を含めているから、それはとくに不自然ではないのだが、この図が女物狂の姿であることは、この時期の世阿弥が女体の中でも女物狂をその代表とみていたことを端的に示すものであろう。ということは、『二曲三体人形図』における女体重視の世阿弥の能芸観は、世阿弥の関心が男物狂から女物狂に移ったことの背景というより、世阿弥の女体重視がそもそも女物狂重視にもとづくものだったということになり、世阿弥による女能を中心にした幽玄能の形成には、女物狂能が大きな要因となったことを推測させる。」

 

「応永七年(一四〇〇)の奥書がある『風姿花伝』第二「物学条々」の「物狂」の項では、その冒頭に、「この道の第一の面白づくの芸能なり」とあり、以下「憑物の物狂」と「思ひゆゑの物狂」について説いたあと、女物狂に鬼神が取り憑くような能を演じるべきではないことや、直面(素顔)の男物狂能(「髙野物狂」「土車」のシテが直面である)の難しさが説かれている。これが物狂や物狂能についての世阿弥のもっとも早い時期の発言だが、このうち、応永七年当時の世阿弥の記述は、「憑物」と「思ひゆゑ」という二種の物狂について説いた部分だけで、それ以外は応永二十年代後半頃の世阿弥自身による増補部分の記述である。すると、「この道の第一の面白づくの芸能」というよく知られた発言は、還暦近い頃の世阿弥の発言ということになり、こう書きつけた世阿弥の念頭にあったのは、前述の物狂能の発展をふまえると、女物狂だったことになる。また、それと同時期の発言と思われる、直面の男物狂のむずかしさを説いた部分は、裏を返せば、男物狂の魅力に対する疑問の表明とみることも可能であり、女物狂に鬼神が取り憑くような能を演じるべきでないとした部分は、それだけ女物狂を高く評価していたことの表われとみることができる。この『風姿花伝』に次ぐ世阿弥芸論中の「物狂」についての言及は、応永三十年の『三道』にみえる。そこでは、「物狂」については女体の項の末尾で、「女物狂の風体、これは、とても物狂なれば、なにとも風体をたくみて、音曲細やかに、立ち振る舞ひに相応して、人体幽玄ならば、なにとするも面白かるべし」などと説かれている。」

 

世阿弥の能で大切なのは、私はこの「鬼」と「物狂」だと思っているのです。どちらも「この世」を呪っている人間だな。世阿弥は脇能で「将軍讃美」の能を書きますが、それを免罪符として、一番書きたかったのは、疎外された人間の哀しみだと思うのです。それを、鬼や物狂で書くのですよ。」

 

「私も「武士道讃美」っていうのはあると思いますね。世阿弥はね、私は楠正成の縁戚関係にあると考えていますからね。本当は『太平記』の世界を描きたかった。しかしそれは出来ない。それで一時代前の『平家物語』に仮託して、正成の忠義とか後醍醐天皇の「摩醯修羅」ぶりをね、書いたんだと思う。南北朝の戦いでは、大変多くの人達が死にました。世阿弥はそういう戦いで死んだ人達を敵・味方関係なく、みんな鎮魂していると思う。『平家物語』という“舞台"に連れ出してね。それが世阿弥の優しさです。死んだその人が人生で一番輝いた一瞬を舞台で演じさせる、というのが世阿弥の修羅能だと思います。語らせてやろう、舞わせてやろう、という心遣い。世阿弥の心根の優しさを演じていて感じます。「敦盛」なんか、特にそうですね。笛も吹きたかったろう、舞も舞たかったろうっていう、そういう「こころ」を舞台に上げる。」

「能を読む② 世阿弥 神と修羅と恋」より抜粋

 

「そうですね。小泉八雲の『草ひばり』にも出てきますが、虫は本能で鳴いているだけなんですけども、そこに日本人の感性は人の魂を呼び合うというようなイメージを乗せていると。虫の音を聞いた時にそういったイメージをもつというところから「松虫」とか「野宮」が生まれてくる。」

 

「強吟のクセで女性が舞うというと世阿弥の「花筐」のクセぐらいでしょうか。そうですね。あのクセでは異様な世界を表出します。そう考えると、ある種、世阿弥がクセのイメージの原形をつくっていると考えてもいいと思います。」

「能を読む③元雅と禅竹 夢と死とエロス」より抜粋

 

花筐 ― はながたみ ―
作者 『世阿弥
素材 「日本書紀
場所 前場 越前国 味真野(現・福井県武生市池泉町味真野)
後場 大和国 玉穂(現・奈良県桜井市阿部)
季節 秋
演能時間 1時間20分
分類 4番目 狂女物
■登場人物

前シテ・・・照日の前
面:若女又は節木増・ 孫次郎・ 小面
装束:摺箔・唐織着流・鬘扇
後シテ・・・照日の前
面:前シテに同じ
装束:摺箔・唐織脱下・鬘扇
ツレ・・・侍女
面:小面
装束:摺箔・唐織着流し・花筺
子方・・・継体天皇(王)
装束:初冠・縫箔・指貫または色大口・単狩衣・神扇
ワキ・・・官人
装束:厚板・白大口・法被・太刀・男扇
ワキツレ・・・使者
装束:無地熨斗目・素袍上下・小刀・鎮扇・文
ワキツレ・・・輿舁
装束:厚板 白大口・男扇・輿
■あらすじ
大迹皇子は皇位継承の為に上洛することとなり、寵愛している照日の前へ文と花筐を使者を遣って届ける。照日の前は別れを悲しみつつ文と花筐を抱いて里へと帰る。即位して継体天皇となった皇子は、紅葉の御幸に出かけた折、そこへ物狂となって侍女とともに都へとあとを慕って来た照日の前が行きあう。官人が侍女が持つ花筐を打ち落とすと、照日の前は花筐の由緒を語って官人を非難し別れの悲しさに泣き伏すが、継体天皇はその花筐をみて確かに照日の前に与えた物だとわかり、再び召されて都へと伴われていく。
■ワンポイントアドバイス
親子の別れ、恋しい人との別れを扱った狂女物は中世の巷話が主になっているが、本曲は古代王権の即位を扱った曲であって、他の狂女物とは趣きを異にしている。本曲はツレが出るが、狂女物ではツレが出る曲は大変珍しい。残された趣の国の人々が、一族挙げて都へ押し寄せて来ることをツレを出すことによって象徴的に現わしているといえるであろう。